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MoppySoundがこれまでやってきたことをまとめる

主にBGM、KONTAKT音源を制作しているMoppySoundです。

趣味で作曲を始めてから約7~8年、活動報告をしてから約3年の中で
作曲、音声編集、音源制作などそれなりに好き勝手やってきました。

今の活動スタイルに落ち着いたまでをまとめて自分の備忘録にしておきたいこと、
あわよくば読んだ方の参考に少しでもなれば幸いと思って書いてみます。

画像は用意していないので大変読みにくいと思いますがご容赦ください。



大学生から趣味で作曲を始める


当時は兄が趣味で作曲をしていて、ピスコラすげー!ボカロすげー!
なんて思いながら自分も大学生になってからつられるように作曲を始めました。
この頃は特に何も考えておらず、好きでやってました。




突然思い立って音楽系の交流会に参加し始める


自分でも結構謎なんですが、特に音楽で何かを成したいわけでもなく
音楽業界への就職や音楽に対する並々ならぬ興味を持っていたわけでもなく
ふら~っと音楽系の交流イベントに足を運ぶようになりました。

この時は大学生で、「普通に就職できるか、就職しても続けていけるか怪しい」と
自身の社会不適合性を既に自覚していたので、何か解決の糸口を探していたのかなあと
今になってからは思います。

幸いにもそこで学生インターンとして拾ってくださる企業があり、
音楽に関わる雑務をしていました。この時、作曲はまだ趣味でした。


とりあえず深く考えず行動してみることの重要性をここで学びました。
実際に「とにかくやってみることって大事なんだな!」と気づいたのはだいぶ先の話ですが。




音楽でなんとかしようと考え始める


大学生も後半、就職するかどうか悩んだ結果やはり自分には厳しいと感じました。

その頃に小~中規模の作曲コンテストで賞を何度かいただいたり
ちょっとした作曲のお仕事を持ちかけられたりしていて
音楽でなんとかやっていけないかと模索し始めたのもこのタイミングだったと思います。

ニコニ・コモンズにフリーBGMをアップし始めたのも多分このあたり。




ココナラを始める→売り出し方を考えるきっかけになる


ちょうどその頃、ワンコイン(500円)で知識・サービスが買える/売れるという触れ込みで
ココナラが2012年にサービス開始しました。

当時はおひねり(追加の支払い機能)はあったものの基本的にサービス価格は500円のみで
500円で自分が提供できる音楽サービスって何かな、
どうアピールしたら買ってくれるのかな、そのために必要な情報って何かなと
購入者への訴求の仕方を考えるきっかけになったと思います。

最終的には金額とサービスできる内容のバランスが悪くなりやめてしまいましたが、
早い段階で「サービスを売る」ということを考えるきっかけとなったことにとても感謝しています。




クラウドソーシング、コンペに手を出す→金額に絶望する


ランサーズ」「クラウドワークス」「My song create
といったサービスに登録して少しの間活動してみました。
当時は1万円前後でフル尺著作権譲渡なんていう案件が普通にありまして、
歌ものが苦手だったこともあり、通るかどうかもわからない案件で
通ったとしても手元にまったく残らないことに絶望して静かにフェードアウトしました。

このあたりから自分の納得のいく金額で動くことを優先すべき
そもそも1曲云万で作る以外の方法が必要なのではないか?
なんてことを意識し始めたと思います。




ゲーム制作プロジェクトに入って作曲→空中分解


コンペ系の金額に絶望していた中で、何か別の方法で収入を得る必要があると思い
手軽に参加できそうという理由で同人ゲーム、アプリのBGM募集に片っ端から参加表明していました。
結局参加できたのはほとんど無く、参加できたプロジェクトも全部途中で空中分解という
残念な結果に終わってしまいました。

自分の曲のクオリティに問題があるんじゃないか?
プロジェクトへの参加は超慎重に、あるいは外注として請け負うのがよさそう
なんてことを考えていたと思います。

音源を買い始めたのもこの後からだった気がします。




AudioStockに曲を出し始める→2年くらいして徐々に売れ始める


ココナラよりも少し前あたりからAudioStockに曲を登録しはじめていました。
(確認できる一番古い登録が2012/08/07の効果音)

厳密には2011年~2013年ごろは「クレオフーガバンク」という前身のサービスで
その頃から投稿していたことになります。
曲をせっせか作って、今は効果音BGM合わせて約600点登録しています。


登録した曲が一番最初に売れたのが2013年の1月。
月に何個かずつ売れるようになったのが2013年の9月。
どういう曲が求められているのかまったくわからなかったのと
クオリティもアレだったので作っては投げの試行錯誤をしていました。

月間1万円売れた最初の月が2014年の6月。
開始してからここまでで約2年かかりました。
2014年後半あたりからなんとなく見えはじめて、
売れそうな曲を狙って作り始めています。

月間10万円売れた最初の月が2016年3月。
ここまでもやっぱり約2年かかりました。
AudioStockの規模が大きくなったこともありますが
売上が伸び始めたのが2015年頃からで、狙いがうまくいったのかなと思っています。


曲を作りさえすれば、そのニーズやクオリティ次第でその後不労所得が入ってくる
曲作りに良い音源は大前提。良いものを買って使いこなせば目(耳)に留まる。
という構造に強く共感し、自分にとって以後の活動方針の基準になりました。




フリーBGMにも力を入れ始める→DOVA-SYNDROMEに登録


せっかく出しているフリーBGMも何かしらの形で収益化したいと考え、
2014年からDOVA-SYNDROMEに登録、Google AdSenseを用いた広告収入を始めました。

金額こそお小遣い規模ですが毎月お金が入ってきたことも嬉しかったですし、
一般にフリーBGMを使うユーザー層の欲しがっている曲がDL数でハッキリ見えるので
仕事としての曲とはまた違う、一般向けのニーズを知るのに最適でした。

今ではアプリや動画、施設や映画、動画広告でも使われているらしく
フリーで出した後の広がり方を良い意味でも悪い意味でも痛感しています。
そこについては今後の課題。




国内販売だけだと規模感に限界を感じる→海外販売を考える


根拠はありませんが一説には音楽市場の規模は日本は世界の10分の1なんて話を聞きまして
数字は正確ではないにせよ、海外にも曲を出していけばもっと売れるんじゃないかと思い
Unity向けBGM集、海外の販売サービスへの投稿を始めました。

権利の問題、海外に関する知識不足など
思うところもあって今は活動していないのですが、手応えは感じていました。
懸念事項が解消する兆しが見えたらまた動き始められるかなあと思い、
今はのんびり構えています。




音楽同人サークルを作る→音源制作サークルになる


「音楽作品を作ってM3とコミケで出そうぜ!」と集まったはずのサークルが
なぜか作曲者向けに音源を制作するサークルになってしまいました。

曲を作っていく上で欲しい音源というのが意外と出回っておらず、
それなら自分たちで作っちゃおうぜ!と軽いノリで始めた記憶があります。
今では結構な時間を割いて制作に取り組むほどになっていますが、
自分でもこんな面倒な作業をよくやる気になったなあと不思議に思っています。


自分たちが欲しい音源を自分たちで作ってしまえ、というのが一番の原動力ですが、
あえて後付で理由を作るなら、アピール力はかなり薄いほうだし苦手意識があるので
何か他の人とは違うところで需要のある活動する必要があると考えました。


その後、縁あってDOVA-SYNDROMEでもボイス音源を作る協力をしたり
大量の音声サンプルを編集する力が身についたお陰で音声編集のお仕事をいくつかしたりしました。


ブルー・オーシャン戦略だとかニッチ戦略だなんていう言葉がありますが、
振り返ってみればそういう動き方をしていたのかなあと。




現在


今後の課題としてはセルフブランディング力不足とか引きこもり生活の健康問題とか
真剣に考えないといけないことがまあまあありますが、

これまでに経験して学んで確立した基本スタンスは変えず、
これからも音楽で食べ続けていくためにできることを模索していく。


という当たり障りのない一文で締めたいと思います。



買った音源や機材の話もしたかったですが長くなったのでそのうちに。




ご意見ご質問はこちら


何か気になったこと、聞きたいことがあればいつでもメッセージをお送りください。

この記事へのコメント

  • 山田龍博

    Moppsound様

    初めまして、当方山田龍博と申します。
    audiostockのメールマガジンで貴方の活動が紹介(リンクが貼ってありました)されていたので来てみました。

    非常に勉強になることがたくさんあり、
    大いに参考にさせていただこうと思いました。

    これかも音楽活動・情報発信、是非続けていってほしいと思います。
    応援しています。
    2017年05月28日 14:42

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